2015年12月6日日曜日

大切なものってなんだろう。

玉響店長です

今日はお店を休んで家族の介護をしています。

僕はヘルパーの資格を持ってはいるけれど、資格をとった時点で何かできることが

あったかといったら、とてもじゃないけど、何もできない状態。

重要なのは、資格ではなく、知識と経験、そしていつも考えながら取り組んでやること。

資格なんて、他人がその人を評価するときの基準にしか過ぎないからね。

たった、一年、介護をしていて一番、大切にしていること、それはされる側の気持ち。

こうされたんではいやではなかろうか、こんな風にされたいのではとか、

否定と肯定を繰り返し、自分の中で自問自答するわけ。

かつ、相手の意見も確認する。

僕の母親は、気持ちを言葉にできるときとできない時がある。

思っていても意思と関係ない言葉を発してしまうときがあるのだ。

それは表情や仕草から読み取るしかないので、自分のしてあげたことに納得しているかどうかは

相手目線に立ってこそ求められている答えに近づくことができる。

多分、気に食わん!と思うことも多々あると思う。

せめて自分が介護している時間位は無理やり納得することなく、駄目な場合は

駄目だって言っていいよと伝えてある。

なので、オムツを交換してみて、全てが終わってから感想を聞くと10回に1回は、

「気持ちが悪い」と言ってくれて、全てやり直してる感じ。

施設に居るときは、それを多分、職員の方に伝えてはいないと思う、というより

伝えていない。

それはある意味、社会性が彼女の中にあるから。喜べないけどね。

なんの話だよと思うかもしれんけど、仕事の時も同じ感覚で人が納得しているのか、

どうかを重視するように心がけている。

食事なんて、玉響でなくたって選択肢は沢山ある。

それでも、週に一回、また二週に一回の割合で皆さんが来店してくれて、

そのニーズに対して応えられているのか、それを気にしなくてはならない。

帰り際、笑顔で「ご馳走様でした」という言葉の中に自分なりに相手目線のお店の評価を感じ取

る。

相手が納得していない時の表情とか、読み取れるとやるせなくなる時もある。

見えるわけではないのかもしれないけど、見えた気がするみたいな感覚を大切にしたい。

自分にはそれこそが凄いストレスなんだけど。

そのストレスを克服してこそ、お店の未来があると思っている。当たり前だけどね。

地下にあるタイ料理店、凄い人気なんだ。(笑

スタッフも明るいし、美味しい。

インド料理よりもタイ料理の方が日本食にも似ているし、クセも品によっては感じない。

インド料理を週二回食べる人は、凄いカレー好きでなければあまり居ないんだけど、

タイ料理はかなりの頻度で同じ週に食べる人が居る。

納得はしていないけれど、そうであると自分自身そう思う。

何が言いたいのかというと、同じように繁盛するようにする為には、我々は

タイ料理店の何倍も顧客を持たなければ、いけないということ。

同じような動きで、やっていたって勝負はついている。

先日、ポスティング用のスタッフに話をした。

チラシを配ることが仕事ではなく、チラシを配った相手が来店しない限り、君は仕事をした

ことにはならんよと。

外国人スタッフは、チラシを配ることに注力し過ぎて、「渡せばよい」といった感覚でやっている。

エレベータや階段のある駅の入り口で配布をお願いしているけど、これから帰宅する為に

エレベータを待っている人に配布してみたり、階段を下りようとする人に渡そうとしたり。

受け取る人の気持ちになれば、それを翌日まで持っていて「行ってみよう」と考える人は

少ないと思う。

もっと、能動的に動いてくれればと思うけど、うちのスタッフには無理。

彼らができないということではないけれど、今までそんな考え方を元に仕事をしたことが

ないからだ。

もちろん任せてできることだって沢山あるけれど、深い意味合いの事を理解した上で、

行動してもらうことはできないし、継続して同じレベルで仕事をしてもらおうと

思ったら、繰り返し、わかるように伝えていくことで保たれるだけなんだ。

せっかく寒いのを我慢してやっているのだから結果が全てだよと伝えて昨日、かなり沢山の

人がチラシを手に来店していた。

ポスティングスタッフには「今日はいい仕事したよ、ありがとう」と伝えたら嬉しそうにしていた。

彼はほとんど日本語がわからない。

真面目ではある、でも、それだけだ。結果には関係ない。

その真面目さをどう生かすのか、それは僕に掛かっている。

細かな視点で彼らの行動を読み解いて、修正、修正、また修正、その繰り返しを徹底して

こそ、自分以外の部分に色がでてくるんじゃないかな。

少し寂しいのは、スタッフと「危機感」を共有できないことだ。

だから働いている仲間という意識は僕にはない。

仲間ではないのだ。彼らも仲間とは思っていない。

当てはまる言葉がないけれど、僕には仲間意識はない。

それぞれの職種に対して、責任を任せている人なだけだから。

依頼事を達成したら、評価してあげればいいだけのこと。

それは気持ちでも、金銭的な事でもしかり。

ただそれだけ。彼らもその部分のみで繋がっている。

店でおきる問題そのものは自分が問題が起きない為のレールを敷いていなかっただけ、

確実に物事を達成させるのであれば、自分がその立ち居地に立って彼らの視点で

スキームを考えることが大切なんだ。

前にも述べたけど、信用とか、信頼とかは相手に依存できてこそだから。

故にそれらの言葉は意味を持たない。

全てのプロセスを確実に達成した上で、お客さんに楽しく食事をしてもらうことが大切だと

つくづく思う、今日この頃だ。